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ナショナル 7
  (2000年 フランス)
  監督: ジャン・ピエール・シナピ
  原題: NATIONALE SEPT
  主要舞台: フランス
    ■発売元:バップ
■品番/価格:
[VHS] VPVU-69429/税抜¥16,000
[DVD]VPBU-11700/税抜¥4,800

  タイトルは「国道7号線」。この大通りは、彼らにとって、世界へ通づる重要な路であるのと同時に、世界と彼らを遮断する大きな溝でもある。郊外の国道を我が物顔で飛ばす車に、到底車イスは太刀打ち出来ない。そう、彼らとは、この素敵な物語の主人公達、施設で生活する身体障害者達のことだ。
  本作は、身体障害者施設で暮らす住民達、障害者は勿論、介護士、精神科医、用務員らが繰り広げる、心温まるドタバタ恋愛喜劇である。そして、凡百とある「障害者映画」がなかなか触れることの出来ない、介護を必要とする者達の「性」の問題、ずばり、重度身体障害者達の「性欲」が本作の主題だ。
  重度身体障害者にとってセックスの問題は深刻だ。当たり前の話だが、人間の持つ生理は、健常者にも障害者にも等しくあり、男であれば、勃起もすれば夢精する時もあるだろう(勿論個人差はあるが)。以前、自立生活(二十四時間介護態勢)を送る脳性小児麻痺の友人が、その辺の話を面白可笑しく話してくれたこともあったが、「身体的自由」を当然のこととして生活する健常者にとっては、日常に於いて想像だにしない苦労がそこにはあった(彼らは「苦労話」を最高のブラック・ユーモアに変えてしまう天才達である)。
  監督のシナピは言う。「身体障害者への人々の見方を変えたかったのです。彼らにはセクシュアリティーなど全くないかのように振舞う人々の暗黙の拒否に、私はいつもショックを受けてきました。とはいうものの、セクシュアリティーについて語るのは簡単なことではありません。車椅子に乗っていようといまいと、皆同じ問題を抱えています。欲望と愛をどう両立させるのかという問題を。健常者だからと言って、障害のある人より有利という訳じゃない、というのもまたこの映画のテーマです。そして、私はこれをコメディとして作りたかった。笑いは共通の感覚だし、また、笑いを共有したかったから」
  『ナショナル 7』は、実在する人物達をモデルに描いた(主演はプロの俳優達)、「苦労話を最高のブラック・ユーモアに変えてしまう天才達」による人間讃歌であり、劇中の介護者や彼らを取り巻く健常者達、そして映画を観る者に、真の愛と希望の意味を教えてくれるのである。

  舞台は、南フランスの地中海に面した港町トゥーロン近郊、国道7号線のそばにある身体障害者施設である。7号線の脇には、トレーラーで客引きをする娼婦達の姿も見える。
  施設で暮らす筋ジストロフィーのルネ(オリヴィエ・グルメ)は、糖尿病も患っており、その症状は芳しくないのだが、とにかく反抗的で人嫌い。介護士をいびり、障害者達をバカにし、自室には無数のヌード写真とエロビデオ。
  そんなルネの世話役に任命された新しい介護士ジュリ(ナディア・カッチ)は、気丈で心優しい女性。スーパーでルネにエロビデオを買わされたり、下ネタ口撃にあったりするが、口ではこちらも負けていない。糖尿病が悪化してゆくルネは、彼女の颯爽とした誠実さに、少しずつ心を開いてゆくのであった。
  劇中、ジュリを巡る二人の男は、精神科医ジャックと用務員ローラン。ジュリの恋愛話も物語に幅を持たせてゆく。
  改造車イスに乗った赤モヒカンのジャン・ルイは、国道で事故って負傷し、アラブ人で孤児で同性愛者のラバは、イスラム教からカトリックへの改宗を希望する。施設職員を悩ます相次ぐ難問に、またもや追い討ちをかける大きな難題が浮上する。施設で今まで、うやむやにされていた障害者達の「性欲」の問題であった。
  ジュリに心を開いたルネは、「女性とセックスがしたい。売春婦しかない。頼めるのは君だけだ」と涙ながらに告白するのであった。職員会議で、秘密厳守を条件にルネの切実な要求は受け入れられたものの、外出許可の理由や買春斡旋罪の問題(フランスでは売買春は重罪である)、更には、尻込みする同僚達から孤立したジュリが、当の売春婦を見つけ出さなくてはならない、という難問が待ち受けていた。
  孤軍奮闘するジュリの誠実さに、トレーラーで客引きをする娼婦フロレルも次第に協力的になってゆき、ルネのみならず、入所仲間達も、切実だった「思い」を遂げてゆく。打ち解けた娼婦達、ジュリ、ルネ、そして仲間の障害者達による、トレーラー・ハウスのパーティーだ。
  ラバは、フロレルが自分と同じジョニー・アリデイ(ミュージシャン)のファンだと知り、カトリック洗礼式の代母にしたいと言い出す。所長は、売春婦が代母になることに断固反対し、挙げ句、施設の障害者達による大々的なデモが敢行されるのだ。「(車イスで)国道7号線に出て通りを封鎖してやる!」。物語後半の、畳み掛けるブラック・ユーモアの連発は実に痛快だ。
  ミレニアムを迎える大晦日、ラバの洗礼式とパーティーには、障害者と健常者達の、あまたの素敵な破顔があった。重度障害者の女性セシルが「なぜ女のコには(性欲解消法がないの)?」と文字ボードで尋ねる。そしてジュリは答える。「国道(の買春)は無理だけど、女の子にも解決策を見つけるわ」

  「性欲が難しい問題か?  脚と車輪の違いだけだろう?」。これは、劇中にある重い台詞だ。本作で描かれるのは、障害を持った(持たされた)人間達の、当たり前の日常である。単に性欲の解消を問題にしているのではなく、自分自身を取り戻す為の、ルネ達の闘争の陰陽がここにあるのだ。シナピ監督は、障害者を美化することも、同情することもなく、身体機能の一部に不都合がある単なる個人として、彼らの躍動を活写するのだ。定義された単一イメージの「障害者」は何処にもいず、人間としての悩み、嘆き、希望、夢、欲求、怒りなどの、多様な喜怒哀楽が、単純にカメラの前に放り出されているのだ(施設という公共機関の現場であることもミソだ)。このような映画が観る者にカルチャー・ショックを与えること自体、世界には多様な人生がある、世界は健常者向けに作られている、という至極当然な事実が隠蔽され続けている証左ではないか。
  出演陣の名演は勿論のこと、タブーに挑んだシナピ監督(脚本)には大きな拍手を送りたい。そして、もし続編を作る気があるのであれば、是非とも、ラストシーンのセシルの願いに答えてやって欲しい。本作の中でも、女性身体障害者のセクシュアリティーの問題は、依然放置されたままだからだ。
  「セックスがしたい!」。当然の要求ではないか!

  「軽量で押し付けがましさのないデジタル・カメラは、理想の道具でした。撮影装置を一杯抱えた、普通の撮影部隊が障害者の暮らす施設へやって来るなんて、絶対考えられない。だって、たった一本のケーブルが床に這っているだけで、車イスには危険なことなのです。それ以上に、映画の中に、施設の実際の住人を映し、中の三人は重要な登場人物を演じている。そんなことは、この超軽量カメラ抜きでは考えることも難しかったでしょう」(ジャン・ピエール・シナピ)
  「『ナショナル 7』は、小さいけれどとても貴重な宝石だ」(『エクラン・ノワール』誌)