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第五福竜丸
  (1959年 日本)
  監督: 新藤兼人
  原題: DAIGO HUKURYU-MARU
  主要舞台: 日本
    「第五福竜丸」
DVD発売中:¥4935(税込)
発売元:アスミック
販売協力:ジェネオン エンタテインメント

  今年(2004年)の3月1日、第五福竜丸がマーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカの水爆実験(広島型原爆の約一千倍!)に遭遇してから半世紀が経過した。今となっては、8・6 や 8・9 ほど人々に意識されない日付だが、当時(1954年)この事件は、第五福竜丸が被爆の二週間後に焼津港へ帰港した際、日本はもとより世界中の人々を震撼させる大ニュースであった。
  静岡の焼津港を拠点とする遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は、1954年3月1日午前3時42分、中部太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁付近で操業中に、アメリカの水爆実験による高濃度の放射性降下物(死の灰)を浴び、全乗組員二十三名が被爆した。異常を感じた彼らは、操業を打ち切り帰港するも、放射線による火傷、頭痛、吐きけ、眼の痛み、歯茎からの出血、脱毛などの急性放射線症状を呈し、即入院した。通信士の久保山愛吉さん(四十歳)が9月23日に日本人初の水爆犠牲者となり死去。現在までに十二名が肝臓がんなどで亡くなり、生存している残りの乗組員達も肝臓障害と闘う日々である(久保山さん以外の乗組員は約一年後に退院するが、C型肝炎ウイルスが混入した血液の大量輸血により肝硬変や肝臓がんに襲われた。「死の灰」と「汚染血液」という二重の悲劇である)。
  時は冷戦、核開発競争時代である。信じられないことにアメリカは、彼ら乗組員をスパイ呼ばわりした挙げ句、法的責任を問われず、個人に対する補償金も全く支払っていない(!)。
  本作『第五福竜丸』は、『原爆の子』の監督、新藤兼人によるノン・フィクション。事件を知った新藤は、前作で作った借金を抱えながらも、即映画化を決断し、シナリオに着手。ヒロシマ・ナガサキに飽き足らず核開発競争に明け暮れる超大国への、憤怒の一撃である。

  映画は、1954年1月の出港から、3月の被爆、帰港、闘病、そして久保山さんの葬式までを、忠実に辿ってゆく。
  1月22日、家族達に見送られ焼津港をあとにする第五福竜丸。家族にとっての暫しの別れではあるが、描かれる人々の表情の明るさには海に生きる者達の誇りが満ちている。その後の悲劇を一辺たりとも感じさせない、明るい冒頭だ。
  3月1日、その日はやってきた。夜明け前の暗闇の中に乗組員達が見たのは、天に立ちのぼる白黄色の大きな火柱。天空はやがて赤く染まり、船員の一人が叫ぶ。「太陽が西から出た!」。その数分後、大爆音による振動とともに、異様なキノコ雲が西方に浮かび上がる。
  「船の位置を観測し終えた時、光が天に昇ってきたんですよ。白い光が一斉に前からも後ろからも上がってくる。あまりにも突然で、天空を圧倒しました。最後は炎となって大空を焦がした」(漁労長・見崎吉男さん談)
  何も知らずに操業する乗組員達の頭上に、やがて白い死の灰が降りそそぎ、変調を感じ取った第五福竜丸は急いで帰港するのであった。
  一同の診断結果は原爆症。アメリカによる極秘の核実験が表面化し、報道は世界中に打電される。唯一の被爆国である日本にとっては、またもやアメリカ、である。彼ら乗組員をスパイ扱いし、モルモットにしようとするアメリカ。そして、彼ら患者をアメリカから守ろうとする日本人医師達の奮闘がここでは描かれる。
  二十三人の漁夫達は東京の病院に移送され、日本中の医療、科学の総力を結集して治療が進められる。励ましの言葉や抗議文。沸騰する日本人の怒り。
  しかし9月23日、最年長者であり衰弱の激しい久保山さんは、「身体の下に高圧線が通っている!」と絶叫しながら、必死の治療も効なく、亡くなるのであった。「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言葉を遺して。

  この時の水爆実験による海水、漁獲物の汚染は北太平洋全域に拡大し、恐るべきことに大気放射能汚染は地球規模に及んでいる。そして忘れてはならないのは、マーシャル諸島住民を襲った甚大な被害だ。被曝後遺症のがんなどに苦しんでいる旧島民二百名は残留放射能の影響で帰島出来ないまま、今も避難先の島々に散在して暮らしている(当時マーシャル海域には、九千隻に及ぶマグロ漁船が漁をしていて、二万人近くが被爆したといわれている)。
  驚くべきことに、ビキニ、エニウェトクの両環礁では、1946年から1958年までに計六十七回(広島型原爆に換算して約七千発分!)の核実験が繰り返され、死の灰や残存放射能の影響で健康被害が多発、マーシャル政府に認定された被爆島民は、2003年末で約1870人にのぼり、そのうち約840人が死亡している。エニウェトク環礁の北半分は今でも放射線レベルが高く近づくことは出来ない。「マーシャルにとって1954年3月1日は、米同時テロのあった2001年9月11日と等しく重たい日であることを分かって貰いたい」(ロンゲラップ島のジェームズ・マタヨシ首長)
  マーシャル諸島が当時アメリカの統治下にあったとはいえ、ここには明らかな人種差別が介在していると言わざるをえない。彼ら体制アメリカ人(白人)がどんな言い訳をしようとも、核実験が北大西洋で行われることはないし、物理的に間に合ったとしても原爆がドイツやイタリアに落とされることは絶対になかったであろう。
  核兵器保有国の殆どが植民地か先住民族居留区のそばで核実験を行う(この半世紀で総計二千回を超えている!)。狂気の沙汰としかいいようがない。