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名もなきアフリカの地で
  (2001年 ドイツ)
  監督: カロリーヌ・リンク
  原題: NOWHERE IN AFRICA(Nirgendwo in Afrika)
  主要舞台: ケニア
    発売元:株式会社ハピネット・ピクチャーズ
販売元:株式会社ハピネット・ピクチャーズ
税込価格:¥3,990
©2001 Medien & Television Munchen GmbH, Constantin Film GmbH, Bavaria Film GmbH

  「もしも1933年に、ドイツ民族的世界観が勝利しておらず、ドイツ統一やナチス国防軍の創設がなされていなかったとしたら、ドイツ国民は、アジアからヨーロッパへと襲いかかってくる巨人(共産主義)の犠牲となっていたことであろう。この巨人の背後には国際ユダヤ人がいて、巨人をドイツへと襲いかからせたのであり、彼らユダヤ人は、これを機会に自らの千年王国を建てようと考えていたのである」
  このたわごとは、勿論アドルフ・ヒトラーによるものである(石原慎太郎に代表される小児的右翼の思考様式との類似に、改めて驚く)。ヒトラーは、ドイツ民族こそが世界で最も優秀な民族であり、逆にユダヤ人は劣等民族で絶滅されるべき存在であるという、とんでもなくふざけた人種論を唱え、1933年のナチス党政権奪取から程なく、ユダヤ人迫害を開始した。手始めにユダヤ人商店へのボイコットやユダヤ人の公職追放を行い、1935年にはユダヤ人(四分の一以上の混血者も)の市民権を剥奪、ユダヤ人と非ユダヤ人との結婚を禁止。そして1938年3月、自らの故郷オーストリア併合とほぼ時を同じくして、本格的に、ユダヤ人商店の打ちこわしや虐殺を始めるのであった(1942年にはユダヤ人絶滅政策が決定され、ユダヤ人の強制連行、大量虐殺が行われた。 良く知られるアウシュビッツ強制収容所だけでも250万人のユダヤ人を含む400万人以上が虐殺されており、第二次世界大戦中、全欧州に於けるナチスのユダヤ人虐殺は、なんと約500万人にものぼる。これは、現在のアイルランドの全人口を遥かに上回る数字だ。1933年当時、ドイツ国内のユダヤ人口は約50万人であったが、1939年迄には28万人以上が国外へ追われ、終戦時の生存者は3万人足らずだった!)。
  ナチスの政権奪取当初、ユダヤ人の多くはドイツの異常事態を一過性のものとみたが、そうはみなかった一部の人々は、早い時期に国外脱出を決断し、ここに運命の明暗を分けたのであった(しかし、出国するには全財産をドイツ政府に引き渡さなければならなかった)。

  本作は、1938年4月に国外脱出し、アフリカのケニアへと逃げのびたユダヤ人家族の実話で、ベストセラーになったシュテファニー・ツヴァイクの自伝的小説の映画化である。
  『ビヨンド・サイレンス』(音楽家を目指す娘と聾唖の両親との心の葛藤を描いた秀作)で監督デビューしたカロリーヌ・リンクは、ここでも、あくまで家族間の心の葛藤、魂の揺れに焦点を合わせ、亡命当初、一見わがままにもみえる妻の成長、偏見なく異文化に溶け込む娘の成長を、女性監督ならではの繊細な筆致で描いている(脚本も彼女)。
  リンクは、欧米の「アフリカ映画」に往々にしてある、セットによる撮影や南アフリカ人俳優の起用を拒否し、あくまでも現地ロケ、現地人起用(勿論スワヒリ語だ)にこだわった。電気も宿泊施設もないケニアの僻地での撮影は困難を極めたようだが、現地の人々による温かいサポートも手伝い、三か月に及ぶ共同生活による撮影は素晴らしい感動作をもたらした。

  1938年4月。物語は、弁護士の父ヴァルターに遅れること三か月、妻イエッテルと娘レギーナのケニアへの国外脱出で始まる。
  ケニア高地の僻村で農場をまかされるヴァルターは、マラリアから回復したばかりで、その農場も殆ど荒れ地同然である。再会の喜びも束の間、井戸も電気もない苛酷な生活は、裕福な生活に馴れ親しんできたイエッテルにとって受け入れがたいものであった。始終不平をこぼすイエッテルとヴァルターの間には口論が絶えず、徐々に二人の気持ちはすれ違ってゆく。そんな両親に反して、娘のレギーナは、広大な自然の暮らしに即馴染み、料理人のオウアや地元の子供達との間に友情が芽生えるのであった。
  第二次大戦が始まると、今度は「敵国人」という定義がやってくる。祖国ではユダヤ人として追われ、ケニアではドイツ人として捕まるのだ。ヴァルターは、英国軍に身柄を拘束され、首都ナイロビの収容所へ移されるのである。
  なす術のないイエッテルは一人の英国兵に身を任せ、ヴァルターは理由も分からずに釈放される。再会した一家の新たな農場経営は軌道に乗り、オウアも彼らの許に帰って来るのであった。
  英国人学校の寄宿生活を送るレギーナが学校の休みで農場に帰ってきた時、一家に悲しい知らせが舞い込む。イエッテルの母と妹から、ポーランドの収容所へ送られるという手紙が届いたのだ。既にヴァルターの父と妹の消息も分からなくなっている。
  戦争も終わりに近付く1944年、ヴァルターは、英国軍に入隊し、イエッテルにナイロビへ来ることを勧めるのだが、彼女は、あれほど嫌っていたはずの農場生活を選び、残ることを決断する。今や彼女は、自然と共生する農場生活に自分の居場所を見い出しているのであった。
  終戦。そして時は1947年。ケニアにやって来て九年という月日が経っている。
  ある日、ヴァルターにフランクフルトでの判事の仕事のオファーが舞い込む。彼にとっては願ってもない話だ。しかしそこには、彼のドイツ帰国の申し出に戸惑うイエッテルとレギーナがいた。そう、イエッテルもレギーナも既に、農場生活に生きがいを見い出し、心はあの忌わしいドイツを捨てていたのである ……。

  本作の特筆すべきポイントは、「アフリカ」の本質を体現するオウアと、「アフリカ」に同化してゆくレギーナの存在であり、二人に対置してあるヴァルターとイエッテルの危ういながらも成長してゆく愛の姿である。生きること。人生に向き合うこと。凄惨な迫害や戦争を背景にしながらも、本作の主題は、この四人の対比が象徴する、魂の葛藤にこそあるのだ。
  観る者は、当初お嬢様育ちで気まぐれなイエッテルの言動(特にオウアに対する態度。ヴァルターは言う。「君のオウアへの態度は、今ドイツを支配している奴らと同じだよ!」)に呆れながらも、日々変化し成長してゆく彼女の「弱さ」の部分に引かれてゆくだろう。それは、物語を客観視出来なくなってゆく過程そのものであり、女性監督であるからこその人物描写に、「男の視点」に馴らされた観る者は、新鮮な感覚を持つはずである。イエッテルは、「男に従順な良く出来た妻」でも「男を裏切る颯爽とした妻」でもなく、「弱さ」を内包しながらも「アフリカ」と向き合い成長してゆく一人の女なのである。確かに劇的ではない。しかしこれが人間というものだ。
  監督のリンクがオーディションでオウア役をシデーデ・オンユーロに決めた時のエピソードに、「映画は演劇とは違う、演じてはいけない」と言うリンクの言葉をオンユーロがすぐに理解したことを挙げている。優れた脚本に素晴らしいロケーション。リンクはただ「そこにあるもの」を活写したのだ。