オンライン魂花時報WELCOME TO NAKAGAWA TAKASHI'S WORLD中川敬のシネマは自由をめざす!リスト > Z
NAKAGAWA TAKASHI'S ALL CINEMAS GO FORWARD TO FREEDOM !
Z
  (1969年 フランス=アルジェリア)
  監督: コンスタンタン・コスタ・ガヴラス
  原題: Z
  主要舞台: ギリシャ
    発売元:株式会社東北新社
「 Z ≪デジタルニューマスター版≫ 」
価格: 3,990円(税込)

  1963年5月22日、左右の応酬甚だしいギリシャで、革新政党の指導者グレゴリオス・ラムブラキスが暗殺された。集会の帰路、車にはねられ、警察は交通事故死と発表したが、のちに憲兵隊と右翼による謀殺であることが暴露されたのであった。
  このギリシャで実際に起きた「ラムブラキス暗殺事件」を小説化したヴァシリ・ヴァシリコスの『Z』を原作に、67年のクーデターにより再び軍政になったギリシャの体制を告発すべく、アテネ生まれのコスタ・ガヴラス監督が有志達と映画化したものが本作『Z』である。
  イヴ・モンタン(シャンソン歌手)、ジャン・ルイ・トランティニャン(『男と女』)、ジャック・ペラン(『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト!)、レナート・サルヴァトーリ(『ケマダの戦い』)といった、志を同じくする豪華キャスト陣のギャラは配当制で、特にプロデューサーも兼ねたジャック・ペランは、映画完成に向け金策に駆けずり回ったということだ。撮影は、数々のヌーヴェルヴァーグ代表作を手掛けたラウル・クタールである。
  ヨーロッパ映画の良心ともいえる本作は、暗躍する国家的謀略を緊張感溢れるタッチで描写した、サスペンス的機能も兼ね備えた歴史的名作である。
  なお、当然のことながら、当初望んだギリシャでの撮影は許可が下りず、ロケはアルジェリアで行われた。当時の軍事独裁国家、ギリシャ、スペイン、ブラジル等では上映禁止の「栄誉」を受けている。

  地中海沿岸の某国では、軍事政権を脅かす反政府勢力が日増しに力を付けてきている。その指導的立場にあるカリスマ的な大学教授 Z氏(イヴ・モンタン)は、右派の妨害に遭いながらも、町で開かれた集会で演説を行い、その圧倒的な「人気」を時の権力者達に見せつけるのであった。
  しかし、事件は起きてしまう。演説を終えた Z氏は、機動隊や左右陣営に溢れかえるものものしい集会場前に出た矢先、暴走車に乗った暴漢に襲われ、数日後病院で息を引き取るのであった。
  友人達の目撃証言を無視する警察や憲兵隊は、自動車事故による脳出血が死因であると発表。予審判事(ジャン・ルイ・トランティニャン)も一旦は事故死と判定し、訴訟を打ち切ろうとしたが、数々の不審点の浮上に、一転して本格的調査を開始するのであった。
  解剖結果による死因も凶器による頭部打撲と判明し、まず、暴走車の運転手ヤゴ(レナート・サルヴァトーリ)が逮補される。ヤゴの犯行を裏づける証言をした男が暴漢に襲われ入院したり、Z氏の友人が暴走車にはねられそうになったりする中で、この事件の底知れぬ闇を悟った新聞記者(ジャック・ペラン)も予審判事に協力するのであった。
  調査から浮上してきたのは、警察がたびたび「治安維持」に利用する右翼組織 CROC(王党派行動隊)。事件当日の警視総監の行動と CROCのメンバーの足取りが一致するに至っては、予審判事も、この事件が遠大な計画殺人であることを認めざるを得ない状況だ(映画中盤以降の展開は、ことの深刻さはさておき、解かれてゆくクロスワード・パズルの醍醐味である)。
  検事総長からの圧力を受けながらも意を決した予審判事は、警視総監や憲兵隊司令官、将校等の要人を次々と起訴。遂に暗殺は立証されるのであった。
  しかし、脚本はここで終わってはくれない。エンディングの「記者発表」が教えてくれる事件の結末は、強大な国家権力への再認識を迫るものであった。
  七人の証人の不審な死。実行犯の短過ぎる労働刑。警察要人の不起訴、不処分。予審判事の解任。Z氏の友人議員達の不審な死。そして、例の新聞記者は公文書不法所持と流布で懲役三年の刑を食らうのである。
  人々の怒りは内閣を総辞職させ、次なる選挙は革新勢力に有利と見えたが、選挙直前、軍部によるクーデターが勃発、再び暗黒の時代へと突入してゆくのであった。
  エンディングのナレーションは言う。「軍は次のことを禁じた。長髪、ミニスカート、ソフォクレス、トルストイ、エウリピデス、ソ連賛歌、ストライキ、アリストファネス、イオネスコ、サルトル、アルビー、ピンター、報復の自由、社会学、ベケット、ドストエフスキー、現代音楽、ポピュラー・ミュージック、現代数学。“Z” の文字の意味は、古代ギリシャ語で “彼は生きている”」

  ギリシャでの実話を下敷きにしながらも、劇中で敢えて舞台となる国名を明かさなかったのは、コスタ・ガヴラス監督が、やおら増長する国家権力の普遍性を見据えているからに他ならない。本作で示された醜怪なる国家権力の慣用手段は、古今東西、体制側の欲望に忠実にあり続けたし、今もある。
  国家が報道や言論を法の名の下に決定し運用出来る恐怖は、最早他人事ではなくなってきている。個人情報保護法案のような表現の自由を脅かす悪法が、立法府に於いてさしたる議論もなく易々と可決されてゆく、そんな議会制民主主義の国が当節東アジアにもあるではないか。
  ナチス・ドイツの全権委任法や天皇日本の治安維持法などの例を引くまでもなく、この悪法は、あらゆる個人が法の網に絡め取られる言論統制の第一歩であり、既にイラク派兵への報道自粛要請という形で、市民社会に挑戦を始めてもいる。
  世界中にあまた浮遊する Z氏達の魂の声を聞こう。いかなる権力も、表現主体としての個人を侵犯して良いいわれはないのだ。