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カッコーの巣の上で
  (1975年 アメリカ)
  監督: ミロス・フォアマン
  原題: ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST
  主要舞台: アメリカ
    「カッコーの巣の上で スペシャル・エディション」
発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
希望小売価格:2,980円
品番:DLW36222

  精神病院を舞台に、体制に抗う一人の男を通して人間の尊厳と自由を問う、圧倒的な人間讃歌。本作は、『ヘアー』『アマデウス』でも知られるチェコの亡命監督ミロス・フォアマンがケン・キージーの大ベストセラー小説を映画化したものだ。

  1963年9月、ランドル・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)は、刑務所の強制労働を逃れる為に精神疾患を装い、オレゴン州立精神病院に入院して来た。病院は、絶対的権限をもって君臨する婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)の専制下に運営されており、患者達はまるで生気のない無気力人間といった具合だ。テレビの野球観戦や煙草の配給に対する不満さえ、誰も口にはしない。
  管理体制に強く反発するマクマーフィは、婦長ラチェッドと対立し、様々な事件を引き起こしながら、入院患者達の心に生きる気力を与えてゆく。
  しかし、マクマーフィの過激な反抗に脅威を感じた病院側は、彼に対して電気ショック療法を開始するのだ。さすがに恐怖を感じ始めるマクマーフィであったが、今まで誰とも喋らず聾唖だと思われていたネイティヴ・アメリカンの患者、チーフ・ブロムデン(ウィル・サンプソン)と意気投合し、二人で脱走を計画し始めるのであった。
  脱走決行が近付いたある晩、マクマーフィは職員を買収し、娑婆から女友達のキャンディらを誘い込み、別れの乱痴気パーティを開いた。キャンディに恋をした童貞ビリー(ブラッド・ダリフ)の告白を聞いたマクマーフィは、一夜の思い出にと二人を別室に送り込む。
  活き活きと夜通し乱れるカッコーの巣の住民達。
  朝を迎え、至る所で患者達は酔っぱらったまま眠りこけている。登院した婦長ラチェッドに全裸でキャンディと寝ているところを目撃されたビリーは、恐怖の為に思いあまって、突然自殺してしまう。しかしそれでも、何もなかったかのように平静さを装い勤務に就こうとするラチェッドに、遂にマクマーフィの怒りは炸裂。あやうく彼女を締め殺しそうになった彼は、職員らに羽交い締めにされ、病室から運び去られた。
  数日後、額にロボトミーの跡をつけ、植物人間と化したマクマーフィが戻って来た。ロボトミーとは、脳の前頭葉の一部を切除する手術で、抗精神病薬が開発される60年代まで盛んに行われていた乱暴な治療法だ(正式には Prefrontal Lobotomy「前部前頭葉切截術」)。
  そして強烈なラストシーン。言いようのない怒りと悲しみの中、チーフは、マクマーフィの顔面に枕を押しつけ、窒息死させるのであった。それは最後の、チーフのマクマーフィに対する友情の証しであった。自らの手で友の命を奪わなければならない、余りにも悲しい結末。
  しかし、カッコーは巣立たなくてはならない。早朝、病室の窓を叩き破り、祖先の愛した大地を求めて走り去るチーフの姿が、逆光の朝日の中にあった。

  本作に満ちた不穏な空気は、個を抑圧する現代社会そのものに通じる。「プラハの春」の挫折をきっかけにチェコから亡命したミロス・フォアマンにとっては、必然的主題であろう。支配するものとされるもの。自由への渇望、と口にすれば安直に響く題目だが、本作を観終わった後の余韻が、問われていることの重大さを想起させるのである。
  確かに、ラスト・シーンのチーフによる「殺人」は賛否両論を呼ぶであろう。観る者は常に、感情移入してきた愛すべき主人公達に道義を求めるからである。しかし、本作が提示して見せるのは、誰もがそこにいるかも知れない「可能性」である。誰もが、チーフやマクマーフィ、その他の患者達、あるいは婦長ラチェッドの立場に置かれる、その「可能性」を秘めているということ。社会の縮図を見せつけられた後の余韻にこそ、本作の重要性はある。
  全ての問題が、自由を希求する患者と、横暴にそれを抑圧する看護婦との対立に集約されてしまうきらいはあるものの、マクマーフィの体現する魂の躍動が被支配からの解放を約束する、そんな肯定的な生き方をフォアマンは観客に提示してみせている。
  フォアマンの演出力もさることながら、何といっても、迫真の演技を見せるジャック・ニコルソンの存在こそが本作を決定づけている。マクマーフィ役には当初、マーロン・ブランド、ジーン・ハックマンといった候補が名を連ねていたらしいが、ニコルソンの存在抜きでは本作の劇映画としての 成功は望むべくもなかったであろう。完璧である。

  「余りにも完璧なニコルソンの演技。その為、他のハリウッド・スターが演劇学校のアマチュアに思えてくる」(ニューヨーク・デイリー・ニューズ)
  「名優が百パーセントはまり役にめぐり逢った結果生じた、まれにみる成功」(ロサンゼルス・タイムズ)