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マイ・レフトフット
  (1989年 アメリカ)
  監督: ジム・シェリダン
  原題: MY LEFT FOOT
  主要舞台: アイルランド
    マイ・レフトフット
DVD発売中 期間限定出荷1,980円(税抜)
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント

  アイルランドを描いた世界的名画といえば、古くは、『アラン』『静かなる男』『邪魔者は殺せ』『ライアンの娘』等が広く知られるところだが、我々の世代にとっては、やはり『コミットメンツ』、そして本作『マイ・レフトフット』の登場こそが、アイルランドの風俗を知るきっかけとなり得た契機である。本作のジム・シェリダン、またはニール・ジョーダン、パット・オコナーといった新進の映画監督ら(今や巨匠だが)や、ダニエル・デイ・ルイスのような本格的名優の登場は、アイルランド映画界にとっても画期的なことであったようだ。
  シャイで神経質であるのにも拘らず人懐っこい。見栄っ張りだがお人好し。自己陶酔的だが人情肌。そういった類いの、世に溢れるアイリッシュ評は、そのどれもがある程度当たっているし、あまたあるアイルランド映画の基層には常に、特有の情感や人間模様が織り込まれていることが求められてもいる(確かに俺も、それ故にアイルランド映画を観る)。結局、往々にして、それらは彼等の情熱的有りようを指しているのである(90年代以降の飛躍的な経済成長“ケルティック・タイガー”以降、アイルランドもアイリッシュも変わってしまった、と嘆く日本人は多いが、それは、余計なお世話というものだろう。日本人は、日本人が高度成長以降変わってしまったことを、真剣に見つめ直した方がいい)。

  本作『マイ・レフトフット』は、アイリッシュ特有の気質、風俗が織り成す人間ドラマであるのと同時に、優れた「障害者映画」でもある。
  先天性の脳性小児麻痺による重度障害をもつクリスティ・ブラウンの、出生から、画家、作家としての成功までを描いた、彼自身の原作に基づく自伝的ドラマであり、緻密な脚本と演出、そして何といっても主演ダニエル・デイ・ルイスの感動的な熱演が、古典的名画の域にまで本作を押し上げている。
  ダニエル・デイ・ルイスの尋常ではない「役作り」は広く知られるところであるが(どの映画出演に於いても、撮影期間中、彼はその役になりきり日々を過ごす)、本作に於いても、ダブリン近郊の障害者施設で八週間のリサーチを敢行し、撮影期間中、左足のみで生活した。実際、左足のみで絵を描き、タイプを打ったクリスティ・ブラウンそのままに、見事に絵もタイプもこなしてみせたそうだ。ルイスは言う。「演じる時、役と自分とが秘密を分かちあえるところまで親密になりたいと思う。(中略)目覚める時も、夢の中でも、自分自身の生活よりはクリスティとしての生活に慣れ親しんだよ」
  数ある「障害者映画」の中でも、本作は、障害者自身による評価も上々で(俺の知るところでは)、先述した要素もさることながら、苦闘する障害者がその精神力で「不幸」を脱するサクセス・ストーリーにとどまらせず、「不幸」という健常者社会からの烙印と闘い続けた、一人の障害をもった孤独な男の物語として活写されたことに、本作の強さはある。

  舞台は、実話であるから、クリスティ・ブラウンの生まれた1932年から、自身の軌跡を追憶する1970年代のダブリンである。
  冒頭、慈善パーティに出席したクリスティ・ブラウンは、看護婦のメアリー・カーに、自作の自伝的処女作『マイ・レフトフット』を読ませる。そして追憶は始まる。
  クリスティは、先天性の重度の脳性小児麻痺。「植物同然にしか生きられない」と医者に宣告され嘆き悲しむ煉瓦職人の父、他の九人のきょうだいと変わりなく愛を注ぐ母との間に産まれ、大家族の騒然とした貧困生活の中で育てられる。
  幼少にあったある日、臨月の母が階段を転げ落ち、それを必死で助け通報するクリスティ。またある時は、口もきけない(と思っていた)彼が、辛うじて自由のきく左足の指を使って、チョークで床に MOTHER の文字を書き、家族を驚愕させるのだ。
  そしてある日、クリスティは、鏡に映る自分の姿を見ながら、人から見ると自分がこのように見えているのだということに気付かされるのであった。
  思春期になり恋を知るも、やがてそれは失望に変わり、周りと自身との大きな差異の壁を思い知るクリスティ。それでも、温かい家族の絆は彼の抜きん出た才能を支え、表現への彼自身の執念がそれを見事に開花させるのであった。左足で描く非凡な画才は、絵画の個展を開くまでになっていた。
  身勝手な父への反発。失恋。孤独。苛立ち。失意。暴言。ひどい酒癖。「不自由」なクリスティの所行は、まんま不良少年のそれであり、カメラは決して彼を「忍耐する可哀想な障害者」には描かない。弱さをもった、なさけない一個の人間として、愛情豊かに描き切るのだ。
  そして父の死。葬儀のあと、一家は父が愛した近所のパブに集い、故人を偲びグラスを傾ける。合唱される父の愛した唄は、イースター蜂起を詠った <FOGGY DEW>。客の一人が父を侮辱する暴言を吐き、パブ中を巻き込む大乱闘に発展するのも、首謀者はクリスティだ。行け、クリスティ!
  1955年、クリスティの書いた『マイ・レフトフット』はベストセラーになる。慈善パーティの控え室で、執拗に看護婦のメアリー・カーをデートに誘うクリスティ。
  映画のラスト・シーン。ダブリンの全景を見下ろす丘の上の二人。
  クリスティの軌跡。あまたの魂が息づくダブリン。
  そこにあるのは地球大の笑顔である。

  その後、クリスティ・ブラウンはメアリー・カーと、十三年の交際期間を経て1972年秋に結婚。最大のベストセラーは、1969年出版の小説『ダウン・オール・ザ・デイズ』で、世界十五か国語に翻訳された。1981年9月に、嘔吐による窒息死で波乱の生涯を閉じている。
  体躯は「不自由」。でもそこには、燃えたぎるような情熱が存在するのだ!