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マイケル・コリンズ
  (1996年 アメリカ)
  監督: ニール・ジョーダン
  原題: MICHAEL COLLINS
  主要舞台: アイルランド
    「マイケル・コリンズ 特別版」
販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
希望小売価格:2000円
品番:DLT14205

  先だって二年ぶりにダブリンへ行き、以前から気になっていたキルメイナム刑務所を訪ねてみた。1795年に建てられたキルメイナム刑務所は、内戦終結の1924年まで使われ、その間の数々の対英闘争に関わった闘士達(老若男女、そう子供もだ)が囚われ、また処刑も行われた、いわばアイルランド独立闘争の聖地のような場所だ。現在は博物館になっており、民族の苦難の歴史を忘れまいとする有志達により、廃虚と化していた建物を自発的に復興保存してきたという重い経緯がある。抵抗史的重要性を踏まえた豊かな資料は、八百年もの間、大英帝国に運命を翻弄されてきたアイルランドの近代史を、否応無く教えてくれる。呻吟する魂どもと建築物としての重厚さとが醸し出す、えも言われぬ空間の美しさは、歴史の皮肉だ。『父の祈りを』を筆頭に、数多くの映画撮影でも重要なロケーションとなっている。
  今も当時のまま残る、処刑場に使われた中庭は、映画『マイケル・コリンズ』の銃殺刑シーンそのままの迫力で、その荘厳な佇まいには身震いさせられる。その中庭で目隠しされ銃殺されたイースター蜂起(1916年)の義勇軍幹部パトリック・ピアースは、起草した決起文『共和国宣言』の中に、「アイルランド人は基本的人権を主張する為に、過去三百年間に六回、武器を取って立ち上がった」と書いている。1603年の九年戦争、 1641年アルスター蜂起、1798年ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起、1803年ロバート・エメットの蜂起、1848年青年アイルランド党の蜂起、1867年フィーニアンの蜂起、そしてイースター蜂起。宗主国イギリスの非道な圧政、苛酷な隷属が手に取るように分かる記録である。
  展示物の中でも際立っていたのがやはり、イースター蜂起からアイルランド独立戦争(1919年)に至る、一連の闘争の記録だ。タブーとされる後の内戦や冷徹な武装闘争は各々の評価を分けるが、それでも、マイケル・コリンズ(1890〜1922)やイーモン・デ・ヴァレラ(1882〜1975)などの初期 IRA(アイルランド共和国軍) 幹部達が独立闘争の民族的英雄であることに変わりはない。
  イースター蜂起の当初、多くの市民はその無謀な戦いに恐怖と嫌悪を示した。むしろ市民の意識を変えたのは、首謀者達の処刑を急ぎ過ぎたイギリス側の失策にあったのだ。裁判もないまま、蜂起鎮圧の二日目には非公開軍事法廷で銃殺刑を決定し、翌朝午前三時半には処刑を始めている。死刑執行された十五名の中には、小児麻痺で下半身が不自由なシェーン・マクダーモットや、重傷で立つことすら出来ないジェイムズ・コノリー、獄中結婚し処刑の寸前10分間だけ一緒にいることを許されたカップル、ジョセフ・プランケットとグレイス・グリフォードらがいた。新聞報道や伝聞が明らかにする処刑状況や、相次ぐ無実の市民の逮捕が、多くの同胞達の心に火をつけ、結果的に、「大惨敗」がアイルランドの独立を早めたのであった(二年後の1918年、イーモン・デ・ヴァレラを筆頭に、多くの党員が獄中にあった状況で、彼等シン・フェーン党は、議会の過半数を獲得する大躍進をみせている)。
  イースター蜂起の三年後、独立戦争で指揮を振るうのが、アメリカ国籍であるが故に処刑を免れたイーモン・デ・ヴァレラと、軍事部門で頭角をあらわしてきたマイケル・コリンズである。デ・ヴァレラは、1920年代の混迷の時代を生き抜き、アイルランド自由国首相に就任(1932年)、1949年のアイルランド共和国独立以降も、首相の座に返り咲いたアイルランド現代史の歴史的人物(キルメイナム刑務所の最後の受刑者でもある)。一方のマイケル・コリンズは、アイルランド独立への先鞭をつけたアイルランド自由国の立役者であるのにも拘らず、後の内戦時に暗殺された伝説的人物である。
  コリンズは、独立戦争時の破壊工作、暗殺などの秀でた都市ゲリラ戦によって、現代のテロ工作の大家とも称され(その後の世界各地でのレジスタンス闘争に多大な影響を与えた。毛沢東もそこに含まれる)、決して一般市民を巻き込まない、しかし冷徹な戦術家であった。大英帝国を恐怖に陥れた「テロリスト」であるはずのコリンズではあるが、関わった人間のほとんどは、彼の温和で平和主義的な人柄を語り継いだ。アイルランド独立は世界に散らばる大英帝国領に於ける、いわば独立運動の最初の成功例であり、大英帝国終焉の先鞭をつけた男として、マイケル・コリンズは静かに評価され続けている。

  作家であり映画監督でもあるニール・ジョーダンは、十年間以上温めてきたマイケル・コリンズの映画化を、『スターダスト』『クライング・ゲーム』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』等の成功の後、実現させた。アイルランド史上最大のセットや一般エキストラの大規模動員は、歴史スペクタクルものに相応しい制作予算を必要としたが、制作サイドは勿論、一般エキストラの市民達による「マイケル・コリンズの時代」への評価、オマージュは、彼等アイリッシュにとっての独立闘争史の重要性を伺わせるものだ。それは、俺が実際にアイリッシュのミュージシャン達との関わりの中でも実感させられたことであった。
  映画化にあたって幾分の脚色はあるものの、ほぼ史実に忠実に作られた本作は、優れた娯楽作であると同時に、あるべきナショナリズムを考えさせられる意味に於いても重要な作品だ。

  本作の舞台は、イースター蜂起の1916年から内戦の1922年までのアイルランド。冒頭は鎮圧される蜂起のシーンだ。先述した蜂起首謀者達は無惨にも銃殺され、イーモン・デ・ヴァレラ(アラン・リックマン)は獄中に、釈放されたマイケル・コリンズ(リーアム・ニーソン)は、親友のハリー・ボーランド(エイダン・クイン)、同志のジョー・オライリー(イアン・ハート)らと、アイルランド義勇軍として新たに独立闘争を組織してゆく。
  見事なデ・ヴァレラの脱獄(女装!)、重要な情報源となった協力者ネッド・ブロイ警部(スティーヴン・レイ)の逸話等は、華麗に過ぎるようにも映るが、実話である。ブロイの手引きで警察内部に忍び込み英国警察の諜報網を掴んだコリンズは、義勇軍の青年達に命じてイギリス官憲や有力な協力者達を次々に暗殺してゆく。
  その大胆な戦略は敵を完全に翻弄し、策に窮したイギリスは、冷酷無比な特殊部隊ブラック&タンズや特殊諜報部隊カイロ・ギャングを動員し、一般市民を巻き込む無差別殺人や、焼き討ちをアイルランド全土で繰り広げるのであった。本作でも描かれている、戦慄のハーリング試合場襲撃事件では、試合を楽しむ一般市民に銃を向け、十二名が死亡、六十名が負傷する大惨劇を起こしている。
  血で血を洗う武力の応酬は熾烈を極め、協力者のブロイ警部はスパイ発覚により拷問の末に殺される。
  劇中、コリンズは言う。「俺は英国人を憎むよ。民族性じゃなく、我々を暴力に駆り立てることで。指揮してるのは俺だ。だから自分も憎い。そうさせてる連中も憎い。必ず終わらせる」「どっちが先に音をあげる?  肉体とムチと」
  1921年、遂にイギリスが休戦を申し入れる。デ・ヴァレラの要請でコリンズが交渉役としてイギリスに赴くも、その内容は、アイルランド自由国の独立は認めるが国の南北分断と英王室への忠誠を求める、という惨憺たるもので、実質は、自治州として認める類いの、傲慢な不平等条約であった。憤まんやる方ないコリンズではあったが、暴力の連鎖を一旦断ち切る為に、その条約に調印して帰国するのであった。
  当然のようにシン・フェーン党は条約承認派と反条約派(共和派)に決裂、アイルランド国民評議会は紛糾し、国内を二分する不幸な内戦へと突入してゆく。以前からコリンズを快く思っていなかったデ・ヴァレラは、反条約派に立ち、シン・フェーン党を脱党し、国民投票により承認されたアイルランド自由国を打倒する側に立つのであった。
  武装蜂起するデ・ヴァレラ派。かつての同志を鎮圧する自由国首相コリンズ。何ともやる方ない悲劇である。九か月の内戦は四千人の死者を出し、アイルランド国内でもこの時期のことはタブーになっている程だ。
  そして運命の1922年8月22日。故郷のコークに向かうコリンズの護送部隊は共和派ゲリラの待ち伏せ攻撃に遭い、コリンズは頭部に被弾するのであった。享年三十一歳、若過ぎる無念の死であった。

  映画の劇中では、コリンズとその同志ハリー・ボーランドが奪い合う女性キティ・カーナン(ジュリア・ロバーツ)の存在も重要だ(この三角関係は史実である)。人間マイケル・コリンズに内包する二面性を、ニール・ジョーダンは情熱を込めて描いている。
  ジョーダンは語る。「コリンズはアイルランド義勇軍や、武器もろくに持っていない農民の一団、そして労働者階級の若者達のような、間に合わせの軍隊で、大英帝国を敵に戦ったんだ。コリンズは、現在のような近代的なテロリズムを決して支持しないだろう。彼は兵士であり政治家であると共に、常に平和を求めていた」
  そして、劇中の紛糾する国民評議会でコリンズにこう語らせている。「ここにいる全員に強く訴えたい。私を何と呼ぼうと構わない。頼むから国を救おう。条約を拒めば戦争だ。それは悲惨なものになる。自由と平和の代償としての汚名ならば喜んで被る」
  ジョーダンの視線は、明らかに制作当時の北アイルランドに於ける連鎖する武力衝突を見据えている。

  「コリンズの偉大さはいずれ歴史に刻まれよう。私の愚かさと共に」(デ・ヴァレラ大統領、1966年)