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バティニョールおじさん
  (2002年 フランス)
  監督: ジェラール・ジュノ
  原題: MONSIEUR BATIGNOLE
  主要舞台: フランス
    好評レンタル・発売中!!
発売元:アルバトロス(株)
販売元:パンド(株)

  フランス映画史に於いて、映画がナチス・ドイツ占領時代を描く場合、フランス人は勇敢な抵抗者か卑怯な対独協力者かという極端な立場を強いられるものだ。本作でジェラール・ジュノ監督(&主演)は、サイレント・マジョリティーの「80パーセント」に着目し、「何の問題意識もなく、厄介事には関わりたくないと考えている男が、劇的な事態に直面した時にどう行動するのか」(ジュノ監督)を、願望を込めて、真摯な態度で描ききっている。
  ひたすら時の経過を待ち、何とか生き延びようとしていた多くの者達。好むと好まざるとに関係なく融和派でいることを良しとした者達。合法性を隠れ蓑に弾圧を見過ごした多くの者達。そんな戦時中の一介の庶民の態度にこそ、戦争の恐るべき本質は宿っているのだ。
  本作は、周囲に流され続ける日和見主義者が人間の本質をさらけ出しながら、取るべき正しい行動に「流されてゆく」、偶然ヒーローになる、極めて稀有な「レジスタンス映画」である。
  悲劇を生き抜くユダヤ人の子供達の表情を微細に描きながらも、その愛の深さ故にユーモアはてんこ盛りで、観る者を一気にエンディングまで連れて行く疾走感が心地良い。これぞ映画、魂の飛翔がここにはある。

  1942年7月、ナチス・ドイツ占領下のフランスではユダヤ人、共産主義者の一斉検挙が始まっていた。
  映画の舞台はパリのシベル通りにあるバティニョール精肉総菜店。監督自ら演じるところのエドモン・バティニョールは肉屋を営む普通に冴えない男だ。エドモンは同居する口うるさい妻と処世術に長けた娘、積極的対独協力者である娘の婚約者にも、出来うる限り無関心を装っている。
  ある日、今まさにスイスへ逃亡せんとするユダヤ人外科医のバーンスタイン一家が、隣人バティニョールの娘の婚約者ピエール・ジャンの密告によって検挙され、エドモンの心中は複雑に揺れる。エドモンは弾圧には無関心だが、先の戦争でドイツ軍と戦った世代であり、世の流れに異は唱えないものの「行き過ぎた状況」を憂う一般庶民の典型である。
  密告によりバティニョール家が得たものは、豪華なバーンスタインの部屋、ユダヤ人の車、進駐独軍スプライヒ大佐の御用達任命。
  そんな中、バーンスタインの部屋で独軍後援者の為の歓迎会を催すエドモンが、客人を出迎えに玄関のドアを開けてみると、そこにはバーンスタイン家の次男シモン(十二歳)が立っているではないか。間一髪逃げ出して来たシモンは、家に帰れば家族と合流出来ると信じ、一人で長距離を歩いて帰って来たのであった。
  厄介を抱えてしまったと思いながらも、エドモンの、シモンを匿う生活が始まる。勿論義心によるものではない。トラブルが嫌なエドモンは相変わらず状況に流されているだけなのだ。異常な状況下ではあるものの、屋根裏部屋や地下室での二人の交流が切なく微笑ましい。
  シモンをスイスに逃がす為には仲介人に渡す金がいる。バーンスタイン家から没収されたルノワールの絵画がスプライヒ大佐の部屋にあるということを悟ったエドモンは、特権を使って部屋へ忍び入る。何とか絵画の奪還に成功するも、秘書に勘ぐられ、エドモンは嫌疑をかけられるのであった。
  密輸業者に「そこまでリスクを負う価値はあるのか」と問われたエドモンは、「俺にはある」と答え、シモンとの交流の中で変化してゆくエドモンの姿が映し出されている。
  地下室にはモンマルトルに住むシモンの従姉妹サラとギラが侵入してきており、呆れ果てるしかないエドモン。スプライヒ大佐が事情を確かめる電話をかけてきた為、地下室から出ようとしないエドモンを不審に思ったピエール・ジャンは、無理矢理地下室へ押し入り、ユダヤ人の子供達を独軍に突き出そうとする。身の危険を感じたエドモンはいきおいピエール・ジャンを殺害し、遂に自ら子供達をスイス国境へ連れて行く決心をするのであった。
  夜行列車の旅。国境の町モルトーでのドタバタ。
  フランス警察に連行されたシモンを助け出すエドモンの、警察署長に対する怒りの口撃シーンは圧倒的で、あまりに感動的だ。
  「仏警察は独軍よりひどいと聞いたが本当だ。(中略)ユダヤ人は嘘つきとでも?  そういう悪口に何年も耐えてきた。何でもユダヤ人のせいだ。電話も無線機も取り上げられた。仕事の妨害もされたし、星のマークを強制した上に、仏警察は妻や兄弟を連行していった。フランス人の夫婦のせいで家まで奪われ、全て盗まれた。これは絵を売った金だ。手元に残った唯一の財産でね。私は商人じゃない。医者だ。外科医だよ。愚か者も治療した。第一次大戦では仏軍として参戦も。自由の為に戦った。十年も住んでるが、法を犯したことはない。納税も。その税金であんた達の給料が払われてる。恩を仇で返す気か。人間のクズなのはどっちだ!」
  あまりに大きな怒りであった為に、エドモンはシモンの父になってしまったのだ。「愚か者」の一員であった一人の臆病者が「本当の人間」になった劇的瞬間だ。
  何度観てもこのシークェンスには胸を締め付けられる。そう、あの圧倒的な『独裁者』のチャップリンの演説シーンのように。
  そして、何とか脱出に成功したエドモンは、子供達とスイス国境に立つ。一旦は三人を見送ったエドモンであったが、今のエドモンに「帰るべきフランス」はない。陽光の中、子供達とスイス領内へ入ってゆくエドモンであった。

  『バティニョールおじさん』はその題材の重さにも拘らず優れた喜劇である。ユダヤ人とフランス人の生活水準の逆転、大人と子供の逆転、更に「パラドックスを押し進めて、善人役を強面の俳優に、悪人役を親しみやすい顔の俳優に演じさせ」(ジュニョ監督)、庶民生活の日常と虚飾をコメディの形態で暴いてゆくのだ。
  本作はスリルとハッピーエンドが観る者に爽やかな気分を与えてくれるが、しかし、やはりこれは悲劇である。エンディング、スイスの陽光に包まれる四人に重ねられたキャプションこそが、本来のエンディングなのである。「四人は終戦までスイスに残ったが、シモンとサラとギラは二度と両親に会えなかった」
  ジュニョ監督は語る。「シモンと二人の少女に演じさせながら、どうやってこんな子供達を家畜用貨車に乗せて強制収容所へ連れて行き、やがてはガス室に送るなんてことが出来たのだろうと、ずっと考え続けていた」

  「可能な限り歴史に忠実に撮られ、ユーモアによって悲劇から救われた、心を揺さぶる、素晴らしく人間的な作品」(パリス・マッチ誌)
  「すべてが美しい!」(マリアンヌ誌)

  本当に!