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独裁者
  (1940年 アメリカ)
  監督: チャールズ・チャップリン
  原題: THE GREAT DICTATOR
  主要舞台: ドイツ
    「独裁者 コレクターズ・エディション」
DVD 3月21日発売:,700(税抜)
提供:日本ヘラルド映画/朝日新聞社
発行元:朝日新聞社
製造元:日本ヘラルド映画
販売元:ジェネオン エンタテインメント
©Roy Export Company Establishment

  『モダンタイムス』(1936年)公開後、時勢のありように危惧を抱いたチャールズ・チャップリンは、体を張ったまさに命懸けの一大傑作『独裁者』の制作に着手する。
  チャップリンは言う。「あの恐るべき醜怪な化け物、アドルフ・ヒトラーがせっせと狂気を掻き立てている時、どうして呑気に女の気まぐれに心を使ったり、甘いロマンスや愛の問題を考えたりしていることが出来るというのか」
  戦後語られないことだが、第二次大戦前夜、アメリカには相当数の親ナチス主義者がいたのだ。その勢力はあからさまにチャップリンを危険視し、ありとあらゆる妨害を試みた。匿名の脅迫は勿論、激しい非難による数カ月間の制作中断、度重なる非米活動委員会への出頭命令等々(戦後、チャップリンはレッドパージと女性スキャンダルにより、完全にアメリカを見切った)。
  実際当時のアメリカの政治状況は、1939年に反ナチス映画『ナチのスパイ告白』が、親独主義者によって上映反対キャンペーンの憂き目に遭うという程の、親ナチス的状況にあったのだ。世に喧伝される「ファシストと勇敢に戦ったアメリカ」は、参戦以降のことであり、ご都合主義的なアメリカの外交戦略は建国史上伝統的なものなのだ(当時、アメリカの映画配給会社の半数以上がドイツ系であった。しかし「アメリカの古き良き時代」って一体いつのことなのだ?)。

  舞台は第一次大戦の敗戦国トメニア国(架空ドイツ)。
  ヒトラーを模したアデノイド・ヒンケルとユダヤ人の床屋は、チャップリンの一人二役である。
  冒頭のシーンは1918年、西部戦線(第一次大戦)の最前線。役に立たない一兵卒の床屋はヘマの連続である。敵に包囲された空軍将校シュルツ(レジナルド・ガーディナー)を助けるも、戦傷により記憶を失い、ユダヤ人街のゲットーに帰還する床屋。
  時は流れ、トメニアの政局は、アーリアン民族の優位を説きユダヤ人を迫害する独裁者、ヒンケル総統の手に握られていた。長期入院に加えて記憶喪失の床屋は、そんな状況を露程も知らない。
  床屋の隣人の洗濯娘ハンナ(ポーレット・ゴダード、当時のチャップリンの妻)は勝ち気な娘。彼女は床屋と共に、ユダヤ人への迫害を強める突撃隊に抵抗し、勇猛果敢、抱腹絶倒のレジスタンスの中で、徐々に床屋に惹かれてゆくのであった。
  突撃隊の度重なる嫌がらせから床屋を救うのは、今やヒンケル党突撃隊指揮官におさまるシュルツである。しかし、ヒンケルにユダヤ人街への弾圧をやめるように進言することによって、シュルツは粛清されるのであった。
  ヒンケルによるユダヤ人への傍若無人な弾圧はいよいよ過熱し、遂に、逃亡中のシュルツと彼を匿う床屋は収容所へ送られてしまう。
  オストリッチ国(架空オーストリア)の主権争いになるバクテリア国(架空イタリア)のナパロニは、明らかにムッソリーニのカリカチュアで、張り合う二人のシークェンスはとことん可笑しい。こういったシリアスでヘヴィーな題材をスラップスティック調のコメディにしてしまう、見事なチャップリンの作劇術は孤高の至芸といえる。
  将校服を盗み、シュルツと共に収容所を脱出した床屋は、オストリッチ国境でヒンケルと間違えられ、一方のヒンケルは床屋と間違えられ警備兵に逮捕される。
  護衛付きの「床屋のヒンケル」は、オストリッチの群衆、何万もの兵士の歓呼の前に迎えられるのであった。
  そして、感動的な、映画史に残る「最後の演説」のシークェンスだ。群衆はヒンケルの言葉として、熱狂的に(床屋の)演説を聞くのだ。
  「私は皇帝にはなりたくない。支配はしたくない。できれば援助したい。ユダヤ人も黒人も白人も、人類はお互いに助け合うべきだ。他人の幸福を念願として、お互いに憎み合ったりしてはいけない。
  世界には全人類を養う富が在る。人生は自由で楽しいはずのものなのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。スピードも意志を通さず、機械は貧富の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になった。思想だけがあって感情が無く、人間性が失われた。知識よりも思いやりが必要だ。思いやりがないと暴力だけが残る。
  航空機とラジオは、我々を接近させ、人類の良心に呼びかけて、世界を一つにする力がある。私の声は全世界に伝わり、失意の人々にも届いている。これらの人々は、罪無くして苦しんでいる。人々よ、失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われない!
  兵士諸君、犠牲になるな!  独裁者の奴隷になるな!  彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて家畜のように追い廻している。彼らは人間ではない!  心も頭も機械に等しい。諸君は機械ではない!  人間なのだ!  心に愛を抱いている。愛を知らない者だけが憎しみあうのだ。兵士諸君、さあ、独裁者を排除して自由のために戦おう!
  神の王国は人間の中に在る。一人物や一組織の中ではなく総ての人間の中、諸君の中にあるのだ!  諸君は幸福を生む力を持っている。人生は美しく、自由で素晴らしいものだ!  我々の力を民主主義のために結集しよう!
  良き世界のために戦おう!  青年に希望を与え、老人に保証を与えよう!  独裁者も同じ約束をした。だが彼らは約束を守らない。彼らの野心を満たし、大衆を奴隷にしたのだ!  さあ、戦おう!  約束を果たすために。世界に自由をもたらし、国境を取り払い、貪欲と憎悪を追放しよう!  良識のために戦おう!  科学・文化の進歩が全人類を幸福に導くように。兵士諸君!  民主主義の名において、我ら総ての力を結集しよう!
  ハンナ、聞こえるかい?  元気をお出し。ご覧!  暗い雲は消え去って、太陽が輝いている。明るい世界が開けてきた。人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したんだ。人間の魂は翼を与えられて、やっと飛び始めた。虹の中に飛び始めたんだ。希望に輝く未来に向かって。
  輝かしい未来が、君にも私にもやってくるんだ。我々総てに!
  ハンナ、元気をお出し!  ハンナ、聞いたかい?  聞きなさい」

  トーキー時代に突入してもサイレントにこだわり続けたチャップリン。しかし、語らねばならない時が来たのだ。彼にとっての初トーキーである本作の企画は、このラスト六分間の演説の為にこそあったのではないか。何度観ても身震いさせられるこの人間讃歌は、心で聞くべきその愛の強さによるものなのだ。問答無用の名作である。
  制作、脚本、台詞、監督、主演はチャップリン自身。
  山高帽、ドタ靴、ステッキ、アヒル歩きのチャップリン・スタイル最後の作品である。