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地中海と黒海の間に突出する大半島バルカン。「呪われた地」バルカン半島の歴史を紐解くのは容易ではない。
監督アデミル・ケノヴィッチと著名な詩人アブドゥラフ・シドラン(脚本)は共にサラエボ生まれ。 |
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1992年、荒廃しきった戦火のサラエボ。ひたすら続く凄惨な殲滅戦。大義名分の為の国連軍は全くもって役立たずだ。
妻子を国外に疎開させ、一人で暮らし始めた、酒浸りの著名な詩人ハムザは常に自分自身の死の幻影に惑わされている。 ある日、戦争によって家族を亡くした幼い孤児の兄弟、アーディスと聾唖のケリムがハムザの家に迷い混んでくる。当初は戸惑いながらも成りゆきで二人と暮らすようになったハムザは、二人の力強い生命力を感じる内に、自分自身にも生きる力が戻ってくるのを感じるのであった。 ハムザは二人に街の歩き方を教える。「どの道を通って、どこで注意して、どこで走るか。一瞬の勝負だ」 そして、銃撃で負傷した犬を見てアーディスはハムザに問う。「撃った人は嬉しいのかな」「さあ、どうかな」 「狙撃手がいる場合は三番目に走るな。先頭を見て、次で狙って、三番目を確実に殺す」。地獄を生き抜く、知恵の伝授である。 寒空の下、国連軍司令部のカーテン越しにクリスマスを祝う、楽し気なパーティーのシルエット。ケリムがハムザに問う。「彼等は(僕らと)同じ人間か」。 やがて深まる絆。死と隣合わせの毎日でも、生きる歓びを見い出す「新しい家族」。 冒頭のシークェンスにもある、劇中幾度となく登場するハムザ自身の首吊りシーンと、語りかけてくる妻と娘の幻覚は、ハムザが心の中で描き続ける円環の両端だ。ハムザが創作に煮詰まった時に描く、綺麗で完璧な「円」。常に求め続ける完璧な円環とは。 「この恐怖。首吊りの縄。世界中で、目の前で、人々は縄に吊るされた。長い日々、長い夜、また夜。長い年月、愛のパンも水もなく、愛の空気も、愛そのものもない。この言葉、この声には確かなものはなく、何の解決にも助けにもならない。しかし目を閉じると、首吊りの縄がそこに。僕はどんなに無知だったことか。最初の時から全身が震えている。縄はすぐ上に。魂が回避したことを、心が恐れたことを、この体が欲している。愛の光、愛のパン、愛の水も、空気もない。たった一歩の歩み、闇から闇へ」。書こうとすると消えてゆく詩人ハムザの言の葉。「書く理由は何だ。詩なんて誰も興味ない」。 |
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隣人たちに見送られ、ドイツにいる叔母の許へ発った兄弟は、サラエボ郊外で敵兵に発見される。アーディスは殺され、ケリムは奪った銃で憎しみあらわに敵を射殺する。
そしてハムザとケリムは、死体を埋める余地もなくなった墓地の端にアーディスを葬る。 墓掘り人夫は言う。「ここには葬る人も葬られる人もいない。死人がいるだけだ」。木片の墓標に、ケリムは「ADIS」と書き、その周りを円で囲んだ。 「もう何も起こらない。いいことも悪いことも。僕は兵士のようにただ日を数える。この世は何も変わらない。最後に静かに言うべきは、死がやって来るということ。僕の骨、僕の肉を奪い、机の上の鉛筆から芯を奪う。知性。魂。壁に掛かった絵。部屋を彩る音楽。涙。恐怖。花粉を運ぶ空気をも。そのあとは闇。闇、闇、闇、闇」
数あるユーゴ内戦を描いた秀作の中、本作から滲む圧倒的な「強さ」は、現場からの悲痛な、しかし冷徹な「訴え」が産み出すものだ。セットを組む必要なく戦争を描ける不幸が、皮肉にも未来を開く歴史的な名作を産み落としたのであった。 「この映画をサラエボの人々に捧ぐ」(クレジット・タイトルから) |
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