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パーフェクト・サークル<戦場の子供たち>
  (1997年 ボスニア=フランス)
  監督: アデミル・ケノヴィッチ
  原題: LE CERCLE PARFAIT
  主要舞台: 旧ユーゴ連邦圏
    品名:Cinefil Imagica パーフェクトサークル
品番:IMBC-0142
価格 ¥4,935(税込)
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発売元:イマジカ
販売元:ジェネオン エンタテインメント

  地中海と黒海の間に突出する大半島バルカン。「呪われた地」バルカン半島の歴史を紐解くのは容易ではない。
  「ボスニア戦争」とは一体何であったのか。
  旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナは、ムスリム人、クロアチア人、セルビア人等の住む多民族混合地域。繰り返される内戦の根底にある火種は、十五世紀のオスマン帝国(現トルコ)によるボスニア・ヘルツェゴビナ征服にまで辿られる。十九世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)による併合。二十世紀に突入すると、バルカン戦争、第一次大戦、ユーゴスラビア王国建設、ナチスによる侵略、対独パルチザンであったチトーによる解放、ユーゴスラビア連邦人民共和国建国(連邦を構成する共和国の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が成立)と、簡単には理解不能な激変の連続。
  そして1990年、共産党崩壊、ユーゴ解体後、約束されていたかのように各民族の独立運動、民族紛争がまき起こり、遂に1992年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国はセルビア人勢力との「戦争状態」突入を宣言、ボスニア戦争の勃発となるのであった。
  各勢力は死闘を繰り返す中で、民族浄化や強制収容所といった近代戦争犯罪の愚を次々と犯し、二十万人の犠牲者、数百万人の難民が生じている。昨日までの隣人同士が殺戮し合うという、あまりにも酷い恐怖の地獄図がそこにはあった。

  監督アデミル・ケノヴィッチと著名な詩人アブドゥラフ・シドラン(脚本)は共にサラエボ生まれ。
  『パーフェクト・サークル』の制作は、サラエボが包囲された1992年に始まった。ケノヴィッチはシドランとサラエボに留まり、弾痕だらけのホリデイ・インの一室で本作の脚本を書き続けた。同時にケノヴィッチは銃弾の飛び交う街頭に出て、戦火のサラエボを日々カメラに収めるという作業を続けた。撮影中は、狙撃手から身を守るために特別部隊を編成し、地雷除去会社に協力を仰ぐという、万全の対策を要した。
  「悲惨な現実に対して、私達は詩のように簡潔で小さい、素晴らしい出来事を積み重ねることによって生き延びる方法を見つけたのです」
  ケノヴィッチは、傷ついた犬を命賭けで救う少年の話など、実際に経験した出来事を、美しい叙事詩に昇華させた。

  1992年、荒廃しきった戦火のサラエボ。ひたすら続く凄惨な殲滅戦。大義名分の為の国連軍は全くもって役立たずだ。
  妻子を国外に疎開させ、一人で暮らし始めた、酒浸りの著名な詩人ハムザは常に自分自身の死の幻影に惑わされている。
  ある日、戦争によって家族を亡くした幼い孤児の兄弟、アーディスと聾唖のケリムがハムザの家に迷い混んでくる。当初は戸惑いながらも成りゆきで二人と暮らすようになったハムザは、二人の力強い生命力を感じる内に、自分自身にも生きる力が戻ってくるのを感じるのであった。
  ハムザは二人に街の歩き方を教える。「どの道を通って、どこで注意して、どこで走るか。一瞬の勝負だ」
  そして、銃撃で負傷した犬を見てアーディスはハムザに問う。「撃った人は嬉しいのかな」「さあ、どうかな」
  「狙撃手がいる場合は三番目に走るな。先頭を見て、次で狙って、三番目を確実に殺す」。地獄を生き抜く、知恵の伝授である。
  寒空の下、国連軍司令部のカーテン越しにクリスマスを祝う、楽し気なパーティーのシルエット。ケリムがハムザに問う。「彼等は(僕らと)同じ人間か」。
  やがて深まる絆。死と隣合わせの毎日でも、生きる歓びを見い出す「新しい家族」。
  冒頭のシークェンスにもある、劇中幾度となく登場するハムザ自身の首吊りシーンと、語りかけてくる妻と娘の幻覚は、ハムザが心の中で描き続ける円環の両端だ。ハムザが創作に煮詰まった時に描く、綺麗で完璧な「円」。常に求め続ける完璧な円環とは。
  「この恐怖。首吊りの縄。世界中で、目の前で、人々は縄に吊るされた。長い日々、長い夜、また夜。長い年月、愛のパンも水もなく、愛の空気も、愛そのものもない。この言葉、この声には確かなものはなく、何の解決にも助けにもならない。しかし目を閉じると、首吊りの縄がそこに。僕はどんなに無知だったことか。最初の時から全身が震えている。縄はすぐ上に。魂が回避したことを、心が恐れたことを、この体が欲している。愛の光、愛のパン、愛の水も、空気もない。たった一歩の歩み、闇から闇へ」。書こうとすると消えてゆく詩人ハムザの言の葉。「書く理由は何だ。詩なんて誰も興味ない」。
  隣人たちに見送られ、ドイツにいる叔母の許へ発った兄弟は、サラエボ郊外で敵兵に発見される。アーディスは殺され、ケリムは奪った銃で憎しみあらわに敵を射殺する。
  そしてハムザとケリムは、死体を埋める余地もなくなった墓地の端にアーディスを葬る。
  墓掘り人夫は言う。「ここには葬る人も葬られる人もいない。死人がいるだけだ」。木片の墓標に、ケリムは「ADIS」と書き、その周りを円で囲んだ。
  「もう何も起こらない。いいことも悪いことも。僕は兵士のようにただ日を数える。この世は何も変わらない。最後に静かに言うべきは、死がやって来るということ。僕の骨、僕の肉を奪い、机の上の鉛筆から芯を奪う。知性。魂。壁に掛かった絵。部屋を彩る音楽。涙。恐怖。花粉を運ぶ空気をも。そのあとは闇。闇、闇、闇、闇」

  数あるユーゴ内戦を描いた秀作の中、本作から滲む圧倒的な「強さ」は、現場からの悲痛な、しかし冷徹な「訴え」が産み出すものだ。セットを組む必要なく戦争を描ける不幸が、皮肉にも未来を開く歴史的な名作を産み落としたのであった。
  タイトルの意味には、「包囲されたサラエボ」「調和への祈り」「新しい家族」等さまざまな見解が出されたが、ケノヴィッチ監督は「観客の一人一人が感じたことがその答えになる」と付け加えながらも、「戦火の中で人間性を保とうとするサラエボの人達の共存」という説がお気に入りだ。
  このような混乱の中で、愛する者を失った人々が新しい家族を作ってお互いに助け合い、僅かでも希望の光を見出しながら生き抜いてきた、そうした事実を語り継ぎ、世界中に知ってもらう為に本作に取り組んだのだ、とケノヴィッチは語る。
  なお、詩人ハムザを演じたムスタファ・ナダレヴィッチは、『パパは、出張中!』の伯父役。戦争孤児の兄弟を演じた二人は、実際難民キャンプにいた少年達であった。彼らはそれまで、映画というものを観たことが一度もなかったということだ。
  周知の通り、その後セルビア共和国ではコソボ自治州のアルバニア系民族問題を巡り、再び数多の血が流された。

  「この映画をサラエボの人々に捧ぐ」(クレジット・タイトルから)