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ノー・マンズ・ランド
  (2001年 フランス=イタリア=ベルギー=イギリス=スロヴェニア)
  監督: ダニス・タノヴィッチ
  原題: NO MAN'S LAND
  主要舞台: 旧ユーゴ連邦圏
    「ノー・マンズ・ランド」
発売中 ¥4,935(税込)
発売元:アーティストフィルム、東芝エンタテインメント
販売元:ポニーキャニオン

  デビュー作にしてこの作劇術、演出力。あっぱれである。
  ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ(1969年生まれ)は、ボスニア戦争(『パーフェクト・サークル』の項参照)の真っ只中、地獄の最前線をルポルタージュし続けた映像ジャーナリストでもある。当時その映像は世界中に配信されている。
  「本作が意図するのは責任追及ではない。悪いことをしたのが誰なのかを指摘する映画じゃないんだ。僕が言いたいのは、あらゆる戦争に対して異議を唱えるということだ。あらゆる暴力に対する僕の意志表示なんだよ」と語るタノヴィッチは、ヨーロッパ中の才能、俳優、スタッフ達を一つの信念の下に結集させ、強烈に痛ましく、滑稽でもあり、サスペンスとしても機能する「第一級のドラマ、力強い映画行為」(ニューヨーク・ポスト)を成し遂げた。
  実際、本作の為に結集したのは、ボスニア人、クロアチア人、スロヴェニア人、セルビア人、イギリス人、オランダ人、ベルギー人、スイス人、ギリシャ人。そう、この「大ユニゾン」は欧州の絶唱なのである。
  民族浄化という恐るべき悲劇、狂気、戦争の愚かさをタイトに脚本化し、ブレることのない「泣き笑い」のカメラがスピーディーに活写する。

  舞台は1993年、セルビアとボスニア両軍が睨み合う中間地帯。いわば最前線だ。
  ボスニア兵のチキ(ブランコ・ジュリッチ)は濃霧の中、負傷し、命からがら中間地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕に逃げ込んだ。どちらの陣営にも属さないゾーンであるが故に、どちらからも攻撃され得る場所である。同行した仲間達はセルビア軍の攻撃で殺されたようだ。
  ボスニア兵の生存者確認の為、その塹壕にやって来たのは、セルビアの古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と初参兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)。塹壕に生存者がいないことを確認すると、古参兵はそこにあったボスニア兵の死体の下にジャンプ型地雷を仕掛けるのであった。後にボスニア兵が仲間の遺体を動かそうとすると、爆発するという卑劣な仕組みである。
  しかし二人が塹壕を去ろうとした、まさにその時、息を潜めていたチキが古参兵を撃ち殺し、ニノにも怪我を負わせる。恐怖に怯える新米セルビア兵のニノに、向けていた銃を下ろすチキであった。
  塹壕に取り残された敵対する二人。緊迫の中のとぼけたやり取り。
  銃を持つチキは、ニノを脱がせ塹壕の上で白旗を振らせるのだが、当然のように砲弾は撃ち込まれる。裸になるとどちらの兵か見分けがつかない滑稽。
  そんな中、二人に聞こえて来た呻き声は死んだはずのボスニア兵ツェラ(フィリプ・ショヴァゴヴィッチ)。そして彼の体の下にはジャンプ型地雷がある。なんとも悲惨な脚本である。言い争い続けるチキとニノも、この非常事態を抜け出す為には協力し合うしかない。懸命に白旗を振る二人に、なすすべのない両軍は国連軍に助けを乞うのであった。
  煙草を吸うツェラにチキは言う「今は願うよ、肺ガンで死んでくれ」。塹壕の中をスラップスティック的ブラックユーモアが連発される。
  戦車に乗りやって来た国連軍マルシャン軍曹(ジョルジュ・シアティディス)は、本部の上官に地雷処理班を要請するが、撤退命令とにべもない。上官に腹を立てたマルシャン軍曹は、やって来たテレビ局レポーター、ジェーン(カトリン・カートリッジ)に塹壕取材を約束、マスコミの騒動により上官を動かすことに成功する。ここで脚本はマルシャン軍曹にこう言わせている。「傍観するのも加害と同じだ」
  愛想はマスコミだけに向く、事なかれ主義の国連上層部。何も出来ない地雷処理班。スクープのみに躍起なマスコミ。この辺りの痛烈な外様描写はタノヴィッチ監督の、言語を絶する実感を見る思いだ。
  「ノー・マンズ・ランド」で繰り広げられる、悲愴で滑稽な人間模様。
  チキはニノを撃ち、国連軍がチキを撃つ。
  カメラは置き去りにされた微動だに出来ないボスニア兵ツェラを鳥瞰してゆく。
  大地と闇。あとは誰にも分からない。

  同じ町、同じ村、友人を共有し、同じ言語を喋る二人が憎しみ合い、殺し合う狂気。
  特にセルビア軍は旧日本軍の三光作戦(殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす)を彷佛させる極めて非人道的な掃討、殲滅戦を強行した。そして恐るべき民族浄化の中には、セルビア軍の戦術の一つとして行われた組織的レイプがある。理由?  勿論妊娠させる為である。EC発表によるとその被害者は二万人、勿論正確な数字ではない(天皇軍の慰安婦レイプ同様、辱められたと考える被害者達は、辛い過去を胸に、名乗り出ないケースが余りにも多いのだ。それをいいことに被害者の数を少なく見積もり、セカンド・レイプに興じる歴史改竄主義者の下劣さは度を越している。勿論これはここ日本の話である)。ちなみに戦争以前、ボスニア軍なるものは存在しなかった。
  しかし、タノヴィッチ監督は善悪の二極対立を描かない。

  以下はタノヴィッチ監督の発言である。
  「この作品を貫いているユーモアは、戦時中に僕らの間で実際存在したものです。当時、笑いはなくてはならないものでした。それは恐怖から逃れる手段であり、生きる糧でした。カメラ、そしてユーモアのおかげで、僕は精神の安定を保つことが出来たのです」
  「国連防護軍の名の下に軍隊を派遣した彼等は、まるで我々を救うかのような素振りを見せました。はっきりさせておきましょう。国連防護軍は我々の為に何かをするのではなく、西側諸国、とりわけアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの権力誇示の為に送られて来たのです。それは国連の威信宣揚の手段であって、紛争解決を目的とするものでないことは明らかです」
  「僕が驚いたのは、紛争が報道される時の、テレビニュースに存在する差別です。国連防護軍のイギリス兵やフランス兵を殺した一つの榴弾は、何十人もの市民の命を奪った千の榴弾よりも百倍も重大なこととして扱われるのです。報道を見た世界中の人々が、僕達のことを考え、生活はあちこちで中断し、戦いを終わらせる為に、各々の指導者達に介入を求める市民のデモが連日行われていると信じていたのです」
  今まさに、この日本で聞かれるべき発言ではないか。
  莫大な制作費を使い、壮大な爆撃シーンや大写しの残酷を撮ることの、その無意味を『ノー・マンズ・ランド』は教えてくれるのだ。

  「タノヴィッチはあなたを現代の悲劇のど真ん中に連れてゆく。それは、内臓をえぐり、劇的で絶対的に失望する。何故かというと、何かをしたくなるからだ!」(トリビューン・メディア・サーヴィス)