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カンダハール
  (2001年 イラン)
  監督: モフセン・マフマルバフ
  原題: SAFAR E GANDEHAR
(KANDAHAR)
  主要舞台: アフガニスタン
    発売元:オフィスサンマルサン
販売元:ブロードウェイ
品番:BWD-1148 価格:,800(税抜)

  映画『カンダハール』の撮影を終えたばかり(2001年初頭)のモフセン・マフマルバフ監督が著した『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)と題された本には、世界から見捨てられた国アフガニスタンの、悲痛な叫びが詰まっていた。
  2001年3月、アフガニスタンのイスラム原理主義政権タリバンによって、偶像崇拝を禁じる意味で敢行されたバーミヤンの仏像破壊は、ここ日本でも大きく取り上げられたが、世界中がよってたかってこの最貧国を攻撃する(2001年10月7日)以前に、マフマルバフは「遂に私は、仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないことと知って砕けたのだ」ということを、来るべき未来への警告としてメッセージしていた。
  今現在アフガニスタンは、あまりにも長い間の侵略、内戦、飢餓、旱魃によって、疲弊のどん底にいる。まず1973年、クーデターによって四十年間続いた王制から共和制に移行。78年、再び軍部のクーデターにより共産主義の人民民主党が政権を掌握。翌79年、ソ連の侵攻を許し、89年のソ連軍撤退後は内戦状態に陥る。96年にタリバンが権力をほぼ全土で掌握し、2001年の「第四帝国」アメリカによる報復攻撃(という名の侵略)に連なってゆく。
  マフマルバフは言う。「アフガニスタンは何年もの間、空からは人々の頭上に爆弾が降り注ぎ、地には人々の足下に地雷が埋められてきた国だ。人々が自分達の政府によって、毎日のように路上で鞭打たれている国だ。逃げ場のない難民達が、その隣人達によって追い出されている国だ。旱魃によって人々が餓えと渇きに苦しみながら死に向かわされている国だ。世界の何処よりも、この国では神の名が語られているというのに、この国は神にさえ見放されているかのようだ」
  隣国を襲うあまりにも残酷な苦しみのさまを、イラン映画を代表する巨匠マフマルバフは無視することが出来なかったのだ。「世界から忘れられた国」は、人道的な救済によってではなく、ゴロツキ国家アメリカが人々の頭上に爆弾の雨を降らせることによって、ようやく世界から一時的に注目された。
  本作で主人公ナファスを演じるニルファー・パズイラは、実際にアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストである。ある日彼女は、アフガニスタンのカブールに住む友人から自殺をほのめかす絶望的な手紙を受け取った。彼女はその手紙を持ってテヘランのマフマルバフを訪ね、「アフガニスタンへ向かう私の旅を撮影して欲しい」と依頼するのであった。マフマルバフは、最終的に「カブール」を「カンダハール」に変え、「友人」を「妹」に変えて、フィクションとして映画化することにした。劇中彼女を助けるアメリカ人と名乗る医師も、実際にかつてソ連と戦う為にアフガニスタンに入った、ブラック・ムスリムのアメリカ人ハノサン・タンタイが演じている。
  「ヘラートで死に瀕した人々が通りを埋め尽くしているのを見た瞬間、私はもう“映画の題材がある”とは言えなかった。映画をやめ、他の仕事を探したいとさえ思った」「俳優とエキストラ選びの為にキャンプ入りした私達は、最初の一時間、泣きながら難民にパンと果物を配り歩くしかなかった。撮影の数日間にも、昨日まで足があった人が、地雷を踏み、足を失い、苦痛に顔をゆがめているのを見た。彼等の苦痛が胸に迫り、苦しかった」(マフマルバフ)

  舞台は20世紀最後の皆既日食が訪れた1999年8月のイラン=アフガニスタン国境。
  ナファスは、地雷で足を失い一人カンダハールに残っている妹から悲痛な手紙を受け取った。そこには「女子校は全て閉鎖され、女は社会生活を禁じられている。希望はない。20世紀最後の日食の時に自殺する。姉さんだけは自分の人生を思いっきり生きて。いい国にいるのだから」としたためられていた。
  ナファスの住むカナダに、一か月前に着いた「二か月も難民の手から手を渡って届いた」手紙を懐に、彼女は何とかイラン側から国境を越え、カンダハールにいる妹の許へ辿り着こうとしているのだ。二十年間に及ぶ内戦の為に一度は捨て去った祖国アフガニスタン。皆既日食まであと三日である。
  難民キャンプでは、アフガニスタン帰還を明日に控えた少女達に授業が行われている。
「アフガンに帰ったら家からは出られません。でも希望は捨てないで。例え塀が高くても、空はもっと高い。いつか世界の人々が助けてくれるでしょう。もし助けてくれなかったら、自分で何とかするんです。そして家が窮屈に思えたら、そっと目を閉じて、虫のアリになってみなさい。家が大きく思えます」
  そして先生は「かわいいお人形」を見つけても絶対触ってはいけないと言う。行く手には地雷だけでなく、子供達を狙った卑劣な人形爆弾(!)までもが待ち構えているのだ。ナファスは、妹がまさにこの人形爆弾に触り、片足を失ったことを思い出すのであった。
  アフガニスタンでは親族を伴わない女性の一人旅は御法度である。ナファスは、国連の係官から紹介された老人の「第四夫人」になりすまし、その一家と共にキャンプを出発するのであった。オート三輪にはためくのは小さな国連旗だ。
  しかし、道中、盗賊に車もろとも身ぐるみ剥がされた一家は、恐れをなしイラン側へ帰ってしまう。ナファスは墓地で出会った少年ハクを雇い、カンダハールを目指す。
  果てしなく続く砂の路。ナファスは独白する。「愛はブルカの隙間をくぐれるの?」
  井戸水による腹痛に悩まされるナファスは、通りすがりの村の診療所で、「アメリカ黒人」と自らの素性を語る医者に出会う。
  その医者との道中、男は自らの身の上を語る。「私は医者じゃない。戦士として来た。最初はそれが神を探す道だと。ソ連を相手に戦った。アフガンが勝ち、神をめぐる戦争が始まった。パシュトゥンは“神は我々の味方だ”。タジクも“神は我々の味方だ”と言った。最初私はタジク側で戦い、次にパシュトゥン側で。ある日、病気の二人の子供に出会った。道路で横になって死にかけていた。パシュトゥン人とタジク人だ。私は悟った。彼等を癒すことこそ神を探す道だと」
  赤十字キャンプでは地雷で足を失った男達が、義足を求めてひしめいている。
  空には赤十字のヘリコプター。足を失った男達は松葉杖で必死に頭上のヘリめがけて走り出す。ヘリからは義足がパラシュートに付けられて投下される。諷刺の効いたシュールなシークェンスだ。恐ろしく、また、美しい映像。
  突然、稜線から色とりどりのブルカに身を包んだ結婚式の行列が現れる。途中で出会った男ハヤトとナファスは行列に紛れ込み、カンダハールを目指す。
  しかし、今度は検問だ。いつになればカンダハールに辿り着くのか。
  ナファスの独白は続く。「私は幾つものアフガン女性の牢獄から逃れた。だが今はその全てに囚われている気分だ」

  人々の不安に満ちた表情。逞しく生きる日常からこぼれ落ちるユーモア。行く手に立ち塞がる苛酷な自然。飢餓と貧困。女性に対する抑圧。地雷で傷ついた人々。
  この息を飲む圧倒的な映像は、呻吟するアフガニスタン難民からの強烈なメッセージである。叫びであり、魂の絶唱である。
  撮影当時タリバン政権下にあった「全ての映像が禁止されている国」アフガニスタンに於いて、撮影クルーの真摯な想いや情熱があらゆる困難を打ち破る、そんな状況への想像だけでも、胸が熱くなるというものだ。
  もしあなたが、この世界に見捨てられた国アフガニスタンを少しでも知りたい、と思うのであれば、是非、マフマルバフ著作『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)に目を通して欲しい。

  プロモーションの為に来日(2002年1月)したマフマルバフ監督は、そのメッセージの緊急性故に、数多くのインタヴューに答え、沢山の重要な言葉を残している。長くなるが、一部をここに転載しよう。
  「あれ(義足のパラシュート)は私の創作。アフガニスタンの現状を象徴したシーンだ。あの国には海がない。本来大地を踏みしめるはずの足が、この国では空からしか来ない。一千万個の地雷が埋まるこの国で足を持つことは夢に等しい。この国で夢は空から降るのだ。それなのに今、この国の空からは爆弾が降り注いでいる」
  「アフガン女性の95%は、タリバンが出てくる前も学校に行ったことはなかったのです。男性も80%はタリバン政権とは関係なく文盲だったのです。七年間のタリバン支配の時代には、誰も学校へは行けませんでした。300万人のアフガン人が、必ずしも合法的ではない形でイランへ難民としてやって来ました。どうぞ想像してみてください。過去七年間、もし日本人が全く学校へ行かなかったら日本はどうなったであろうかと。その状態を変える為に爆弾を落とすことが良いことなのでしょうか」
  「メディアはお金持ちと、力を持っている人の為にあります。お金と権力を持っている人がメディアに、人々に何を知らせるべきかを指示しているのです。これは、世界の人々がブルカを被っているのと同じです。メディアというブルカの狭い穴の中から世界を見ることしか出来ないのです。どの国へ行ってもこのことについては、メディアは“言うな”と言います」
  「例えばアフガニスタンには一千万の地雷が敷設されています。この地雷は、アフガニスタン人同士の抗争でも敷設されましたし、先進諸国、強い国の為にも敷設されました。もし地雷の代わりに麦を埋めていたら、アフガニスタンの状況は全く違っていたでしょう。もし爆弾の代わりに本を空から降らせていたら、状況は全く違っていたでしょう」
  「アフガニスタンの平均死亡年齢は三十八歳です。そしてその三十八年の内、内戦の二十年間、勉強というものをしていないのです。(私の国である)イランには300万人のアフガン難民がいます。イラン政府は残念なことに、難民の子供達に勉強させる機会をあまり与えてきませんでした。というのも、彼等は不法滞在としてイランにいるので学校へ行けなかったのです。私は仲間と『ACEM アフガン子供教育運動』というNGOを作りました。三カ月にわたってイランの重要人物と話をして、やっとイランの法律を変えることが出来ました。アフガニスタンの子供達は今後、法的な地位に関わらず勉強が出来ることになりました。彼等が学べば、彼等自身で彼等の国を再建出来る道が拓けます(2002年1月に発表された国連開発計画の報告書によれば、小学校に入学しているアフガニスタンの子供の割合は極端に低く、男の子で38%、女の子で3%と見積もっている。一方で、学齢期の子供の数は440万人に及ぶ)」
  「そういった人達(文盲)が選挙に参加するというのは可能なのでしょうか。新聞を発行したとしても、そういう人達はどうやって読んだらいいのでしょう。新聞や本を読まずに社会変革は可能でしょうか。アフガンの失われた鍵というのは、字を知ることだと思います。アフガニスタンの問題は、経済的であり文化的なのです」
  「この映画を心で観て欲しいと思います。これは“9・11”以降に作られた映画ではありません。これは忘れられたアフガニスタンの為に作られた映画です。私が望むのは、フィルムに出てきた人々を観て、あれはアフガニスタンのことだから我々とは別に関係ないと思わないことです。日本にいるんだから何もしなくてもいいなんて言って欲しくありません。イランの諺に“暗がりを恐がるよりも、一つのロウソクを灯しなさい”という言葉があります。もしここにいる一人一人が、NGOに子供一人30ドル分のお金を送れば、その子の人生を変えることが出来るのです」
  「私は映画を沢山作ってきました。これまで作った作品は全て好きです。ただこの映画は違うものです。『カンダハール』は映画というよりも人間的な活動だと思っています。一つの叫びを出すようなことです。それは、忘れられている悲劇に近付いていくことです。二十年間、特にこの七年間、世界から忘れ去られたアフガニスタンのことを、思い出させたかったのです」

  さて日本である。迫害から逃れ、必死の思いで命からがら日本に辿り着いたアフガン難民を、この国(日本)は「テロリスト」の嫌疑にかけ、強制収容し、戦地へ送り返すのである。「死ね」ということだろう。これはまさしく国家による人種差別的な憎悪犯罪である。
  この難民鎖国日本の残酷な人命軽視に対して、今後我々「日本人」はどんな答えを導き出してゆくというのだろう?