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D.I.
  (2002年 フランス=パレスチナ)
  監督: エリア・スレイマン
  原題: YADON ILAHEYYA
(DIVINE INTERVENTION)
  主要舞台: パレスチナ
    発売元:紀伊國屋書店[ 紀伊国屋BookWeb ]
「D.I.」KKDS-78
本体価格 ,800 好評発売中

  測定不能な「虚構」と「現実」の距離。
  パレスチナの「現実」が、一つ一つのカットに込められた隠喩として、入れ子状に立ち現れるストーリーの積み重なり。荒唐無稽に過ぎるバトル・シーンからイスラエルのパレスチナ人居住区ナザレの日常まで、「現実にはもうウンザリ」と吐き捨てる監督エリア・スレイマンが描く、シニカルなユーモアに溢れた寓話劇である。
  原題の「DIVINE INTERVENTI0N」は「神の手」「神の仲裁」「神頼み」。監督のスレイマンはそれを「想像力だ。あなたが捕虜を捕らえたとして、捕虜が三メートル四方の獄に入れられる。それでも捕虜の人間は想像力によって自由になれる。イスラエル占領軍にはこれが決して分からない。人々を殺し続け、記憶を抹殺しようとするだけだ。この映画の物語は二つのシンボルを中心に構成している。壁を超えようとする愛と、何でも封鎖する検問所。愛はどんな壁でも通過していくパワーだからね」と説明している。
  第二次インティファーダによる撮影中断を乗り越えた本作は、スレイマンの亡き父に捧げられている。父ファド・スレイマンは1948年の第一次中東戦争でイスラエル軍に捕らえられ、仲間の名を吐くことなく死の拷問に耐えぬいた経歴の持ち主で、映画の完成前(1997年)に世を去っている。本作は、パレスチナ現代史を「イスラエルのパレスチナ人居住区」ナザレで生きた、父へのオマージュでもある。

  冒頭の舞台はイスラエルのパレスチナ人居住区ナザレ。占領下のパレスチナ自治区ではなく、イスラエル国内のゲットーに住むパレスチナ人が描かれており、本作の鬱屈した微妙な空気感は、抵抗と諦観の狭間にある日常によって醸し出される重圧に起因するものであろう。
  淡々と続くメランコリックな前半は、パレスチナ人の日常をユーモアと隠喩の畳み掛けによって描き出す(ナンニ・モレッティの『親愛なる日記』を彷佛させる)。
  ナザレで少年達に追われる、胸にナイフが突き刺さったサンタクロース。車を運転しながら、すれ違う知り合い達に小声で悪態をつくエリアの父。屋上に空き瓶を収集して、下にいる警官に投げつける老人。またそれをただ眺める日向ぼっこの二人の老人。永遠に来ないバスを待つサングラスの男に「いくら待っても来ないぞ」と告げる男。ひたすらゴミ袋を隣家の塀の中に放り込む男。ひねもす庭でゴミを燃やす女。エリアの父が働く自転車工場で数字の「6」を話題にするのが日課の青年。少年が敷地内に誤って蹴り入れたサッカー・ボールを、ナイフでぺちゃんこにしてしまう老人。空き地で蛇に「集団暴行」する数人の男達。迷惑駐車のナンバープレートを引き剥がす男。税務署の差し押さえを食らうエリアの父。
  カリカチュアされたパレスチナ人の日常をユーモラスに、固定ショットの無音が包む。憤怒と憎悪、コミュニケーションの不在。ジグソー・パズルの断片が集まってゆく前半である。
  本作の核になる後半は、東エルサレムに住むパレスチナ人のエリア(監督自ら出演)が、心臓発作で倒れた父を見舞うところから始まる。病院へ向かう道中、エリアの車窓から捨てた杏子の種がイスラエル軍戦車を爆破(この辺りからこの映画の「虚構」と「現実」の振り幅が大きくなってゆく)。
  エリアの恋人マナルはパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区)ラマラに住んでいる。ラマラとエルサレムの間にはアル・ラム検問所があり、ラマラ側からの白プレートの車(パレスチナの登録車。イスラエル登録車は黄色)はイスラエル軍に容赦なく追い返されて通過することが出来ない。よって二人がデート出来るのは検問所のわびしい駐車場。終始無言の二人は車内で手を握り合うしかないのだ。どんなセックス・シーンよりも緊迫した官能的なハンド・セックスが続く。
  ある日エリアは二人の車中、アラファト議長の顔が書かれた赤い風船をヘリウムで膨らませる。風船は検問所の上空に飛び立ち、イスラエル兵達が「アラファト風船」に慌てる隙をついて、二人は検問を突破する。
  「アラファト風船」は世界遺産で名高いユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」を次々に訪れて、最後はイスラム教の聖地である「岩のドーム」に到着、エリアとマナルもエルサレムヘ。
  爆弾テロ。父の看病。いなくなったマナル。横暴な検問所のイスラエル兵。シオニスト男との信号待ちでの睨み合い。車内にはアラブの歌姫ナターシャ・アトラス歌うところの<I PUT A SPELL ON YOU(スクリーミン・ジェイ・ホーキンス)>。
  所変わって射撃練習場の山中。イスラエル軍特殊狙撃部隊が板に描かれたパレスチナの女を標的に射撃する。すると標的の影から忍者に扮したマナルが現われ、狙撃兵達との奇想天外なバトルが始まる。マナルのインティファーダ流投石の秘術。パレスチナの地形の楯を操ったブーメラン戦法。地面に浮かび上がるパレスチナ旗。
  明らかにハリウッドのスペクタクルを茶化した馬鹿馬鹿しさがいい。ニセモノであることに徹底せよ。これは「パレスチナ映画」なのである。
  そしてラストシーン。父は死んだ。
  父の居なくなったアパートで、エリアと母はレンジに掛けられ沸騰した圧力鍋を、ただひたすら眺めている。
  最後に母が言う。「もう充分よ。火を止めたら?」

  パレスチナ人の観客は抵抗闘争を笑いで描く本作に熱狂し、特に戦車爆破シーン、マナルの検問突破、忍者バトル・シーン、「アラファト風船」の「岩のドーム」への帰還シーン等に盛り上がり、列席したパレスチナ自治政府の労働大臣もさすがに「アラファト風船」のシーンでは笑いを押さえきれなかったようだ。勿論「映画は好きだったが、ラマラでの日常はもっと悲惨でそれが描かれていない」と不満を漏らす少女も。
  劇中終始無言のエリア・スレイマンだが、普段の彼のジョークは切れ味抜群。例えばこんな調子だ。「戦車のシーンはフランス陸軍の戦車を借りて撮影したんだ。イスラエル軍の戦車は忙し過ぎて撮影どころじゃないんだよ」「SHOOTING(撮影)の一部はパレスチナで出来なかった。別な連中(イスラエル軍)がSHOOT(銃撃)していたからね」

  我々は「パレスチナ映画」に自爆テロや投石する子供達の姿を「期待」してはならない。この非暴力主義者が詠んだ一編の「詩」は、そこに住む人々の日常から発せられた静かなる「絶唱」なのである。抑圧された生活、恋愛、ユーモア、そして戦いがあっての日常。それら全てを包括してこその「レジスタンス映画」ではないか。
  スレイマン曰く「セックスをするように映画を撮る。テクニックを語るのではなく、瞬間をより濃密に生きることを追求する。本作は私的な映像で、自分と自分の感情について語っているのだから、つまらないと言われてもそんなことは気にしない。映画を作るのは、より良いポテンシャルの現実を作る為。障壁を打ち壊す為、障壁を増やさない為。権力を握る構造が押し付ける、あらゆる定めや規則から自由になる為なんだ」

  「最初の数シーンで既に創作力の凄まじさとポエジーの美しさに驚嘆させられる。有刺鉄線に囲われた地で生きることの不可能性から救ってくれるものはイマジネーションであり、心こそバイオレンスと対決する為の唯一の武器だ」(ル・フィガロスコープ誌)
  「インテリジェンスと美、自由という名の戦場」(ル・モンド誌)
  「幾つものギャグでしばしばキートンとジャック・タチを思い起こさせるこの映画は、しかし全く新鮮で、熱い心が紛争の現実を抉り出している」(タイム・アウト誌)
  ちなみに、『D.I.』は世界中の映画賞をかっさらったが(カンヌでは『ボーリング・フォー・コロンバイン』『戦場のピアニスト』『過去のない男』等を押さえ、堂々の二冠)、アカデミー賞外国語映画部門ではノミネートの段階から排除された。

  もう充分。火を止めよう!